集合と太宰治の「皮膚と心」

太宰治の短編小説「きりぎりす」の中の「皮膚と心」を読みました。

ネタバレすると
主人公の女は、ある日胸に吹き出物ができて悩んでしまう。その女はぶつぶつが大嫌いなのである。なぜかというと「痛み」と「くすぐったさ」と「痒さ」の中で一番嫌なことは「痒み」であると考えている。痛みやくすぐったさは自分の限界を超えてしまうと、もう失神してしまうだろう。しかしながら、痒みには他の2つにはない「痒さの波」がある。だから恐ろしい。ゆえに皮膚のぶつぶつも、この世の色んなぶつぶつも大嫌いなのである。皮膚にはいっそう気にしていたが、薬を塗って一晩寝ると、ぶつぶつは全身に広がっていた。
こんな醜い自分を夫は嫌うだろうと、着物で隠そうとするが、結局バレて病院に連れて行かれる。

病院の待ち時間、女はふと考える。夫は初婚ではなかったので、もしかしたら前の女から性病を移されたのではないか、と不安になったり裏切られたと憎い感情がこみ上げてきたりする。
結局ただの食べ物アレルギーで、注射を打つとすっかり治ってしまった。というお話。

私は心理描写のことは全部端折ってるので、その辺の素晴らしい感想はこちら様のブログをどうぞ。

そのぶつぶつが嫌だと主人公が語っている場面で、彼女はこの世の様々なぶつぶつの例を挙げています。

以下抜粋 『きりぎりす』(新潮文庫)太宰治(著)より
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いちど先生に連れられて、クラス全部で、上野の科学博物館へ行ったことがございますけれど、たしか三階の標本室で、私は、きゃっと悲鳴を挙げ、くやしく、わんわん泣いてしまいました。皮膚に寄生する虫の標本が、かにくらいの大きさに模型されて、ずらりと棚に並んで、飾られてあって、ばか! と大声で叫んで棍棒こんぼうもって滅茶苦茶に粉砕したい気持でございました。それから三日も、私は寝ぐるしく、なんだか痒く、ごはんもおいしくございませんでした。私は、菊の花さえきらいなのです。小さい花弁がうじゃうじゃして、まるで何かみたい。樹木の幹の、でこぼこしているのを見ても、ぞっとして全身むず痒くなります。筋子なぞを、平気でたべる人の気が知れない。牡蠣かきの貝殻。かぼちゃの皮。砂利道。虫食った葉。とさか。胡麻ごま。絞り染。たこの脚。茶殻。えびはちの巣。いちごあり。蓮の実。はえ。うろこ。みんな、きらい。ふり仮名も、きらい。小さい仮名は、しらみみたい。グミの実、桑の実、どっちもきらい。お月さまの拡大写真を見て、吐きそうになったことがあります。刺繍ししゅうでも、図柄に依っては、とても我慢できなくなるものがあります。そんなに皮膚のやまいを嫌っているので、自然と用心深く、いままで、ほとんど吹出物の経験なぞ無かったのです。
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なんとも分かるような気もする。
私は赤血球の写真などを見るとゾクゾクします。
けど、この主人公は相当ぶつぶつ、というか点々と言うか、そういう集合体に対しても拒絶感アンテナが異常に敏感なのだと思います。

ふりがなも嫌いってのは面白いと思いましたw

草間弥生と太宰治の小説、2つ例を挙げたので、次にまとめます。

2012年11月13日火曜日

プロフィール

kaocino 美大4年 デザイン系
卒業制作の事ついてつらつら書きます。
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